夢彩人

東京都世田谷区

世田谷美術館

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SETAGAYA ART MUSEUM

1994年5月

 

今回は、緑豊かな公園の中にある世田谷美術館を訪問しました。企画展「舟越保武の世界−−信仰と詩心の彫刻60年−−」が開催されていました。純朴で純粋な詩心を感ずる舟越氏の作品に出会うことができたのは好運でした。

世田谷美術館へは、渋谷駅から東急新玉川線で用賀駅まで行き、そこから散歩道「用賀プロムナード」を歩いて行くと17分位で行くことができます。美術館の北側にある世田谷清掃工場の大きな煙突が目印になります。用賀駅から東急バスで行くこともできます。二子玉川園駅行きの「美術館前」で降ります。

静嘉堂文庫美術館に寄ってから世田谷美術館を訪問したいときは、二子玉川園駅から用賀駅行きバスに乗り「静嘉堂文庫」で途中下車する方がよいでしょう。

新宿からの場合は、小田急線の千歳船橋駅から田園調布行きバスの「美術館入口」で下車し徒歩3分です。

世田谷美術館は、12万坪近い敷地を有する砧 (キヌタ)公園の一画に1986年3月開館しました。美術館の敷地は6千8百坪あります。建物は公園の樹木より低くつくられており、周囲の自然と一体になるように考えられています。住民の日常生活に密着し、同時に国際性のある美術館にしたいとの考えに基づいてつくられています。文化・余暇活動の拠点施設として位置付けられ、美術品を単に鑑賞するだけでなく、作品を自ら創作する各種ワークショップも開催されています。講演会等教育普及活動にも力を入れています。美術の分野にとどまらず、音楽、演劇などの芸術全般に利用されています。

この美術館はアンリー・ルソーに代表される素朴派の画家たちや世田谷ゆかりの作家の作品を中心とした収蔵品による常設展に加え大型企画展が開催されています。こうした幅広い活動が行なえるように、直接の運営は(財)世田谷区美術振興財団が当っています。美術館の名称に区立が入っていないのはこのためです。

舟越保武(フナコシ ヤスタケ) 氏は「長崎26殉教者記念像」や「原の城」そして「病 のダミアン」や多くの聖女像などの作品が示すように、敬虔なカソリック信仰と透明な詩心、そして強靭な造形精神によって、純度の高い数々の秀作を生み出しています。また、日本における本格的な大理石彫刻の第一人者として定評があります。

舟越氏は1912年岩手県に生まれました。父は熱心なカトリック信者でありましたが、父の生前には父に反抗して洗礼を受けなかったとのことです。敗戦間もなく、郷里盛岡に疎開中に、生まれたばかりの長男が亡くなっています。このときの、臨終の赤子への、熱心なカトリック信者であった姉の態度に美智子夫人が感動したことから、教会に通い初め、父の死後20年をへた1950年12月、盛岡のカトリック教会で家族全員洗礼を受けています。

舟越氏は1951年より現在に至るまで、世田谷に在住し、世田谷の芸術、文化振興のための中心的存在であります。美術館の庭には、杏を手に持った美しい女性像「杏(アンズ)」が設置されています。舟越氏の彫刻は、北海道から九州まで全国に設置されています。神戸のロッコーアイランドには、「渚」という彫刻があります。花と彫刻の道には「シオン」という彫刻があるそうです。でも大阪には見当りません。この美しさは大阪には合わないのかもしれません。

「聖セシリア」や「N嬢」の彫刻、そして裸婦のデッサンを見ていると女性の美しい心と美しい裸体に感動を覚えます。遠藤周作氏は舟越氏の彫刻は「純粋なものから聖なるものへ」の人間の憧れを刺激するから日本人の多くに愛されるのだと言っています。遠藤周作氏の著書「イエス・キリスト」の装丁に舟越氏のデッサンが使われています。

美術館の横には、本格的なフランス料理のレストラン「ル・ジャルダン(庭)」があります。ここから舟越保武氏の「杏」の彫刻をみることができます。地下には、コーヒーショップ「ルソー」のテラスがあります。

 

(砧公園)

砧公園は、自然の地形の起伏が生かされ、樹木も自然に近い形で整備され、イギリス風の広々とした芝生を中心とした明るい公園です。1957年4月1日に開園しています。旧ゴルフ場部分を改称したファミリー広場と周辺の樹林地、それを縫うようにサイクリングコースが設けられています。軟式野球場兼競技場と多目的広場などもあります。美術館を訪問した後、この広大な芝生の上で休んでいると時間の経つのを忘れてしまいます。このまま砧公園で一日を過ごすのもひとつです。

 

(蘆花恒春園)

砧公園の横を南北に「環八通り(カンパチドオリ)」が走っています。この通りを北に3kmほど行くと左側に「蘆花恒春園(ロカコウシュウエン) 」があります。

蘆花恒春園は「不如帰」や「自然と人生」などの名作で知られる明治・大正期の文豪、徳富蘆花と愛子夫人が、後半生を過ごした住まいと庭と、その後周辺を拡張した公園部分からなっています。

蘆花は1868年(明治元年)10月25日肥後水俣で生まれています。1907年2月27日東京市内青山からこの地に移り住み、恒春園と称し、1927年9月18日静養先の群馬県伊香保で亡くなるまでの約20年、晴耕雨読の生活をこの地で過ごしました。 花没後10周年に際し、愛子未亡人から当時の家屋や耕地などが東京都に寄贈されました。記念館には、作品の原稿やスケッチ画などが展示されています。

 

(五島美術館)

世田谷美術館から環八通りを南へ2kmほど行くと右側に五島美術館があります。東急大井町線上野毛(カミノゲ) 駅から徒歩5分のところにあります。

この美術館は、東急電鉄の五島慶太前会長が半生をかけて収集した日本・東洋の古美術品を根幹に1960年4月18日に開館しています。 国宝の「源氏物語絵巻」は春に1週間、同じく国宝の「紫式部日記絵巻」は秋に1週間ほど公開されます。

6千坪の敷地の中にあり、武蔵野の面影を残す庭園の散策は魅力的であります。

(静嘉堂文庫美術館)

二子玉川駅から世田谷美術館への途中にある静嘉堂(セイカドウ)文庫美術館は三菱の岩崎弥太郎の弟である弥之助とその子供の小弥太による収蔵品を展示しています。およそ20万冊の古典籍と5千点に及ぶ和漢の古美術品を収蔵しています。この中には国宝7点、重要文化財81点が含まれています。1940年小弥太の寄付により財団法人静嘉堂が設立され、その後1945年岩崎家収蔵の国宝、重要文化財を中心とする優品が寄贈され、1977年以降文庫に展示室が付設されています。1992年4月から現在の新美術館が公開されています。

94.05.26

 

 

所在地:157-0075

    東京都世田谷区砧公園1−2

Tel:03-3415-6011

 

 

世田谷美術館 公式HP

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