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群馬県勢多郡 |
富弘美術館 |
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Tomihiro
Museumof Poetry & Illustration |
1994年10月 |
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今回は、今までにもっとも書きたいと思いながら、うまく書けるかどうか自信が持てなかった富弘美術館を紹介します。秋になってなぜかもの悲しくなって、美術館案内を書きはじめた時の原点に戻ってみたいと思ったためです。この美術館をもう一度訪れると元気が出てきそうな気がしたからでもあります。 浅草駅から東武鉄道の線急行りょうもう号で相老(アイオイ)まで行き、そこから、わたらせ渓谷鉄道に乗り換えて神戸(ゴウド)まで行きます。相老までが1時間50分、相老から神戸までが45分です。神戸からは東(アズマ) 村営バスがあります。わたらせ渓谷鉄道は足尾銅山に行く昔の足尾線で、今では第三セクターの運営となり、バスのように運転手一人だけで、後から乗り、降りるときに料金を払う方法を取っています。もちろんデイーゼルです。名前の示すように山間の渓谷を走ります。都会を遠く離れたという感じがします。神戸の駅を降りると渡良瀬川の流れの音が聞こえ、土の匂いを感じます。村営のマイクロバスで国道122号線沿いに走ると渡良瀬川を塞き止めてつくられた草木湖の横にモダンな建物の富弘美術館に行くことができます。 この富弘美術館が、水彩の花の絵と詩を通して生命の尊さ、優しさを語りつづける星野富弘氏の作品を一堂に公開している美術館です。東村のふうさと創生事業により1991年春に開館しました。 星野富弘氏は1946年(昭和21年)4月24日群馬県勢多郡東村神戸に生まれました。1970年群馬大学教育学部保険体育科を卒業して、高崎市立倉賀野中学校に体育教師として赴任します。しかし、2ヵ月後、クラブ活動の指導中頭髄損傷により手足の自由を失います。群馬大学病院整形外科に入院し、1979年9月まで9年間の入院生活を送ります。その間、2年後の1972年に口に筆をくわえて文字や花の絵を描きはじめます。そして、1974年病室でキリスト教の洗礼を受けます。1979年5月には前橋で最初の作品展を開いています。そして9月に退院して、故郷の東村の自宅で療養を始めます。1981年1月に、あの感動の本「愛、深き淵より」を出版します。そして4月には、渡辺昌子さんと結婚をしています。その後、「風の旅」「かぎりなくやさしい花々」「鈴の鳴る道」、三浦綾子との対談「銀色のあしあと」、花の詩画集「速さのちがう時計」等が出版され、そして展覧会も各地で開催されています。 私が富弘氏を知ったのは、「愛、深き淵より」を読んでからです。それまでに富弘氏の絵は、本屋で知っていたのですが、まさかこのような口で描いた絵であるとは知りませんでした。この本を読んだときあまりのすごさに涙が流れました。今の自分の甘さと我侭をどうしようもなく感じました。今までの自分の人生を振り返り、取り返しの付かないことをしてきたような気がしました。富弘美術館が東村にあることを知りました。そして、東京から3時間かけて訪れました。富弘美術館の広大な駐車場には、観光バスが4、5台止まっていました。人の数もすごいものでした。富弘氏の絵に感激して集まってきた人々も多いと思いますが、日光への観光の途中に立ち寄った人々も多くいるようです。でも、それらの人々も富弘氏の絵と詩にふれて感激をしていたようです。ビデオに映しだされる富弘氏の顔はすばらしいです。苦難を克服した人の美しさ、優しさを見ることができます。その話しぶりもすばらしいです。慢ることもなく、悲しみを見せることもなく、穏やかで人間の心の豊かさを感じることができます。 館内のどの作品もすばらしいものばかりです。その中でも「らんの花の絵」は、一枚の絵として仕上げた最初の作品で、会社の仕事が半日で終わる土曜日になると定期便のように富弘氏の病室に通いつめていた女性にあげた作品でもあります。「愛、深き淵より」の本の中に、 「・・・歌っている人の中に安中さんの顔もあった。この1年間、毎週私のベットの横にきて聖書を読み、祈り、相談相手になってくれた、神学校に進む鎌田さんもいた。うしろのほうに渡辺さん。彼女は2年前から通いつめて、食べ物や身のまわりの細かいことに気を配ってくれては私と母を自分の手足をつかって助けてくれた。私の前で聖書の話はあまりしなかったが、彼女のまなざしに、いつも深い祈りがこめられているのを感じた」 と書かれています。富弘氏の描く絵をいつもほめて、驚いてくれるのが渡辺さんであったそうです。この「らんの花の絵」は、絵の中にも書かれているように、花をくれた西尾さんにあげるつもりが、絵を見てびっくりして、感激してくれた若くて美しい渡辺さんにあげてしまったのだそうです。渡辺さんは、最初のうちは、このらんの花の絵を自分の机の前にセロテープでとめておいたそうですが、次第にその絵が大切に思えてきて立派な額に入れるようになり、そして、ついにそれを抱えて6年後に富弘さんのお嫁さんになってしまったとのことです。 私の未熟な筆では この花の千分の一の美しさも 描き出すことはできない しかし私はこの花をいつまでも心に 留めておきたい 苦労して育てた花を 根元からスッパリ切って私にくれた Nさんの気持ちとともに いつまでも心の中に咲かせておきたい 富弘氏は、みんなで力を合わせて一つのものを仕上げて行くということ、妻が褒めてくれたり、母が驚いてくれることが、次にまた絵を描きたいという原動力になっていると言っています。奥さんやお母さんに対する感謝の気持ちが、ペンペン草や紫陽花の詩画に表現されています。 神様がたった一度だけ この腕を動かして下さるとしたら 母の肩をたたかせてもらおう 風に揺れる ぺんぺん草の実を見ていたら そんな日が 本当に来るような気がした 結婚ゆび輪はいらないといった 朝、顔を洗うとき 私の顔をきずつけないように 体を持ち上げるとき 私が痛くないように 結婚ゆび輪はいらないといった 今、レースのカーテンをつきぬけてくる 朝陽の中で私の許(モト)に来たあなたが 洗面器から冷たい水をすくっている その十本の指先から金よりも銀よりも 美しい雫(シズク)が落ちている そして、星野富弘氏は、決して決して言ってはいけない、言っては申し訳ないのですが、私は怪我をしてよかったと思うと言っています。もし怪我をしていなかったら、これだけ一つのことに打ち込むことができなかったでしょう。他のものに心が移ってしまったでしょう。苦労をかけた人たちに本当に申し訳ないのですがそう思っていると言っておられます。 (童謡ふるさと館) 富弘美術館を出て国道122号線を下って行くと草木ダムに出ます。そこから草木ダムを通って神戸の駅の方に向かうと途中に童謡ふるさと館があります。バスなら5〜6分で行くこともできます。「兎と亀」や「大黒様」「金太郎」「花咲爺」等の作詞者でこの東村の出身である石原和三郎を記念して建てられた記念館です。富弘氏は、この東村のふるさと切手「うさぎとかめ」の原画を描いています。 富弘氏の住まいは、この童謡ふるさと館と神戸駅の間くらいであると聞いています。四季折々の野の草花や石南花の群生、紅キリシマツツジの大木など、青空と緑深い詩情豊かな山々に囲まれた東村がそこには、あります。 (大川美術館) 神戸駅から、わたらせ渓谷鉄道で相老の先の桐生に出ることができます。この桐生には、大川美術館があります。桐生駅から歩いても行けますが、小高い丘の途中にあるので、時間がないときはタクシーに乗られる方が良いかもしれません。この美術館では、サラリーマンであった桐生出身の大川栄二氏が長年にわたり収集した松本竣介や野口英夫達の作品を中心に展示されています。寮を改良して造られた美術館は、人のぬくもりを感じさせる気持ちのよい美術館です。私が訪問したのは、閉館間近いときでしたが、遠方から訪れたこともあり、閉館時間が過ぎても観賞することができました。 人間はお互いに助け合って生きて行かなければならないと思います。そして、お互いに励まし、感謝の気持ちが必要であると感じました。 |
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所在地:〒376-0302 群馬県勢多郡東村大字草木86 Tel:0277-95-6333 |
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富弘美術館 公式HP |
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