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東京都豊島区 |
熊谷守一美術館 |
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1995年3月 |
豊島区立熊谷守一美術館
今回は、東京の池袋の近くの千早(チハヤ) にある熊谷守一(クマガイ モリカズ) 美術館を紹介します。 営団地下鉄有楽町線の池袋から1つ目の要町(カナメチョウ)駅を降りて8分ほど行った静かな住宅街の中に熊谷守一美術館があります。JR池袋駅西口からタクシ−で一区間のところです。この美術館は熊谷守一が40数年住んでいた居住地跡に新しく建てられたものです。入口のコンクリ−トの壁には、守一の原図を拡大した赤蟻と熊蜂のレリ−フが描かれています。美術館の前の小さな庭にある欅(ケヤキ)
と黄櫨(ハゼ) の木は、守一が住んでいたときのものだそうです。昔は山からもってきた野草や木々が所狭しと植わり、木造の平屋が建っていたそうです。 熊谷守一美術館は、守一の次女であり、画家で登山家の榧(カヤ)さんが1985年に造り上げたプライベ−トな美術館です。1階には受け付けを兼ねた喫茶店「カッフェカヤ」があります。守一の作品の展示室は、喫茶室と反対側にあります。窓がなくコンクリ−トの穴倉のようで、奥の床は、1メ−トルほど蟻の巣のように低くなっています。守一の油絵16点、板絵2点、小彫刻3点の常設展示と墨絵19点、書10点、クレパス4の幾つかが掛け替えで展示されています。2階は、貸画廊「ギャラリ−榧」でデッサン展や個展が開かれています。3階はこの美術館の設計者の建築設計事務所に貸しているそうです。カッフェカヤの壁面には、守一の作品の展示がされ、販売されています。榧さんの百号の油絵「しゃくなげの木の下のランチタイム(ランタン・ヒマラヤ)」もかかっています。この他にも榧さんの作品が展示販売されています。このカッフェカヤで使用されているコ−ヒ−カップ、ミルクピッチャ−、スプ−ンなどは、すべて榧さんの手造りの作品で、榧さんの逗子のアトリエ近くに住む女性に焼いてもらっているそうです。 熊谷守一は、1880年岐阜県恵那郡付知(ツケチ) 村に生まれました。父は岐阜の初代市長で生糸商人でした。子供の頃は、「モリさま」と呼ばれていましたが、大人になって友達からは「モリさん」と言われ、結婚して奥さんと子供からは「モリ」と呼ばれるようになったそうです。17歳のときに上京し、1900年東京美術学校西洋画選科に父の反対をおして入学します。同級生に青木繁や山下新太郎など後年名を成した錚々たる画家たちがいましたが、その連中も熊谷守一の画才には、一目おいていたそうです。在学中に父を脳溢血で失い、膨大な借金を受け継ぐことになってしまいます。卒業後描いた「ロ−ソク」の絵は文展で受賞した作品で初期の傑作として名高い作品です。実母の死を契機に帰郷しますが、可愛がっていた馬を描いた絵が無断で売られたことに腹をたてて、付知川上流の山奥に移って、山から伐り出した木材を下流に流すヒョウという激しい肉体労働の仕事を6年間行います。この間絵を描くことを止めてしまいますが、彼の画才を惜しむ画家仲間達に促されて再び東京に戻り画家としての生活に入ります。極貧の中でも音楽をやる友達と親しくなったりして悠々と過ごします。1916年の「赤城の雪」を二科展に出品して二科会の会員に推されます。1922年42歳のとき音楽家の集まりで知り合った24歳の大江秀子さんと結婚します。1918年の「某婦人像」は秀子さんがモデルだそうです。1977年に97歳の生涯を閉じるまで睦まじく生涯を共にした夫人です。2男3女の子供が生まれますが、次男、長女、3女を失うことになります。子供好きの守一の悲嘆は大変なものであったそうです。次男が4歳で亡くなったときは医者にかけることも出来ないほど貧窮のどん底であったそうです。「陽の死んだ日」という作品があります。 91歳のときに書いた自伝「へたも絵のうち」に「私は子供の時から他人を押し退けて前に出ようとする気がないから、何も恐いものはないのです」と言っています。また坂本繁二郎のことにふれ、「あの人は金銭欲も名誉欲もない人だったようですが、ただいい絵を描こうという気持ちだけは強かったようだ。私には特にいい絵を描こうという気持ちもないのだから不心得者なのです」と語っています。熊谷守一の全作品はすべて普段着の芸術だそうです。1967年には、文化勲章を辞退しています。勲三等叙勲の内示にも「お国のために何もしていないから」と受諾を断っています。 画面を単純に区切った線は、写生を突き詰めていった線です。美術学校時代はセピア色にくすんだアカデミックな絵を描いていますが、その後、アカデミックな画風は影をひそめ、あらいタッチの筆が趣くままに描いた絵が多くなります。それが戦後色鉛筆で線を区切るようになり、画面が筆先をそろえた平塗りになって行き、ものの存在を現すようになります。晩年は色鮮やかな装飾的画風になって行きます。 熊谷守一美術館の館主である熊谷榧さんは、山に登りながら絵を描いています。山男と結婚し、2人の男の子を生みますが、その後、離婚して今も山に登りながら、絵を描き、本も多数出さています。榧さんの著書「モリはモリ、カヤはカヤ 父・熊谷守一と私」に、この辺りのことが詳しく書かれています。
(東武美術館) 池袋駅に戻ると東武百貨店の一角に東武美術館があります。1992年に開館しています。充実した設備を有していますので海外の美術館の作品や浮世絵などの展示に利用されています。私が訪れたときはフランスのロワ−ル川沿いの美しい古城の点在するトゥ−ル市の旧市街にあるトゥ−ル美術館所有の17世紀から19世紀のフランス絵画が展示されていました。美しい絵画でした。
(セゾン美術館) 池袋駅を挾んで東武美術館の反対側のSMA館の1階と2階にセゾン美術館があります。この美術館も東武美術館と同じように海外の美術館の作品の展示が多いようです。美術館以外に複数のギャラリ−やア−トスペ−ス、美術館専門の書店があります。
熊谷守一美術館では金曜日の夕方、毎週裸婦デッサン会が開かれています。榧さんも一緒にデッサンをするそうです。嫁菜の花美術館の絵画教室と同じ曜日なので参加したことはありませんが、気が向いたときにいつでも参加できるのが魅力です。
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所在地:〒171 東京都豊島区千早2−27−6 Tel:03-3957-3779 |
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豊島区立熊谷守一美術館 公式HP |
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