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長野県北佐久郡 |
ペイネ美術館 |
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musee PEYNET |
2002年9月 |
南軽井沢の塩沢湖周辺には、愛と平和をテーマとした作品を展示したペイネ美術館、軽井沢ゆかりの近代作家の資料を展示する軽井沢高原文庫、軽井沢絵本の森美術館、そして軽井沢には、脇田画伯のアトリエの敷地に建てられた脇田美術館と中軽井沢のセゾン現代美術館や田崎美術館など多くの美術館が点在しています。これらのすべてを一日でまわることは難しいので、2回にわたって紹介しようと思っています。 上野からJRの特急に乗ると2時間ほどで軽井沢に行くことができます。高崎までは高崎線で、そこから先は信越本線になりますが、乗り換えずに行くことができます。群馬と長野の県境に交通の難所で有名な碓氷峠があります。横川駅で碓氷峠の急勾配を助けるため補助機関車をつけます。横川駅と軽井沢駅との高低差553mを11.2kmで登らなければならないためです。軽井沢駅で補助機関車を外します。軽井沢の次の駅が中軽井沢です。ほとんどの特急は中軽井沢駅に停車しますが、たまに軽井沢駅で普通に乗り換えることが必要です。 中軽井沢駅からタクシーで南に7分位行ったのところにペイネ美術館があります。塩沢湖レイクランドの中にある美術館です。 1986年7月に開館しています。フランスの画家レイモンド・ペイネの油彩、水彩、ペン画、リトグラフなどを展示しています。 美術館の建物はチェコスロバキア生まれの建築家アントニン・レイモンドが自身のために建てた別荘兼アトリエ「軽井沢夏の家」を移して復元したものです。栗の木の丸太を使った山小屋風の建物です。レイモンドは1919年帝国ホテル建築のためライトとともに来日し、日本の美と知恵の中に彼が探し求めていた建築の姿を見い出し、日本に住むことになりました。学校や教会など多くの建物を設計しています。 レイモンド・ペイネは、1908年11月16日パリに生まれています。ペイネは、恋人たちの心を絵と詩にしています。「私の絵に登場する恋人たちは、私自信でもあるのです。自分の昔の恋を思い出し、そして、いまも私の心の中にある、すてきな恋へのあこがれが、若い恋人たちに姿を変えて、私の絵に現われてくるのです」と言っています。 ペイネは最初、大学を出て会社員になるつもりでしたが、大学入学検定試験に失敗して、しかたなく美術学校に入いったとのことです。でも絵はあくまで趣味で、ワイン造りなどいろいろな仕事についています。香水メーカーのラベル製作の仕事の好評がきっかけになり、お菓子の箱のデザインや子供用アクセサリーの製作などの仕事を頼まれるようになりました。 パリの公園の小さな野外音楽堂で、ペイネは、ひとりの若い音楽家に出会いました。ツギの当たった服をきた貧しそうなバイオリニストでしたが、彼の表情、音楽には夢があふれていました。恋をしている人の輝きがありました。待っていた可愛い恋人と手をつないで帰途につくその若い音楽家を見たとき、「恋人たち」の作品が生まれたとペイネは言っています。この「恋人たち」の周りには、小鳥がさえずり、蝶が舞い、花が咲いています。雨の日も晴れた日も、月の夜も、恋人たちは愛をうたい続けています。 ペイネの作品は、少しマンガチックなところがありますが、これらの作品を見ていると、優しさや幸せには限りというものがないように思われてきます。お互いが相手にこのような優しさや包容力を望むのではなく、男の人と女の人それぞれがこの「恋人たち」に出てくる男女のようにやさしくなろうと思うなら、きっとペイネの恋人のようになれるような気がしてきます。 現在、ペイネはドゥニーズ夫人と共に南フランスのアンティーブに住み、柔らかい陽光と潮風の中で、今日も創作活動を行なっているとのことです。 (塩沢湖レイクランド) ペイネ美術館のある塩沢湖レイクランドは人造の塩沢湖を中心に広がる水と緑のレジャーパークです。遊園地やファミリーゴルフ、アーチェリー、テニスといったスポーツ施設が充実しています。湖上にボートを浮かべてペイネの愛の世界の余韻にひたるのもよいでしょう。また、芝生の続く湖畔をのんびり散歩するのも、心地よい静かなひとときを過ごすことができます。3月始めに訪れたときは、塩沢湖に氷がはり、周りの木々にも雪が残っていて、ヨーロッパの湖水の冬景色を連想させてくれました。今回は、また別の美しさを見いだすことができました。 (軽井沢高原文庫) 塩沢湖レイクランドを出ると斜め前に軽井沢高原文庫があります。軽井沢高原文庫は、軽井沢にかかわりの深い文学者の資料を収集し、保存・展示して行く目的で、1985年に開設されました。軽井沢は明治20年代からに今日に至まで、数多くの作家や詩人の作品創造の場となっています。この地でつくられた作品を蓄積しています。また、堀辰雄山荘や有島武郎別荘をここに移し、作家の生活空間も残そうと努めています。 明治中期には、幸田露伴や森鴎外、正岡子規などが、碓氷峠を徒歩や鉄道馬車で登って軽井沢を訪れ、それぞれ印象記などを残しています。 北原白秋の詩「落葉松」は講習会のために軽井沢を訪れた白秋が星野温泉付近を散策しているときに生まれたといわれています。 室生犀星は、1920年に初めて軽井沢を訪れています。1931年純和風の別荘を大塚山に新築し、以後亡くなる前年までこの別荘で毎夏をすごし、「杏っ子」や「わが愛する詩人たちの伝記」など、軽井沢に深くかかわる作品を残しています。 堀辰雄は、1923年19才の時に室生犀星に誘われて初めて軽井沢に訪れて以来、この地で亡くなるまで、その半生のほとんどを軽井沢で過ごしています。そして遠藤周作氏のエッセイの中にも出てくる「美しい村」や「菜穂子」、「風立ちぬ」など軽井沢の風土とも深くかかわる 作品を多数残しています。中軽井沢駅の次の駅である信濃追分には堀辰雄文学記念館があります。この次に来たときには、堀辰雄が日本で一番美しい駅かもしれないと言っている信濃追分に是非行きたいと思っています。遠藤周作氏も「薔薇の館・黄金の国」など軽井沢を舞台とした作品を出しています。 この高原文庫には、野の花をこよなく愛し、野の花を描き続けた深澤紅子画伯の水彩画も所蔵され、絵はがきやレターセットが販売されています。1993年90才で亡くなっていますが、故郷の岩手県盛岡に彼女の作品を展示する「野の花美術館」の建設が進められていると聞いています。私の目標とする画家の一人でもあります。 (軽井沢絵本の森美術館) 軽井沢高原文庫を出て、さらに南に数10mほど行くと左側に軽井沢絵本の森美術館があります。軽井沢絵本の森美術館は、「白雪ひめ」や「赤ずきん」など、森から生まれたメルヘン「グリム童話」を中心に、自然の中に暮らす人間や動物たちの世界を描いた絵本と原画を収集し、展示する絵本の専門美術館です。開館は1990年7月で、あたりは閑静な森に囲まれています。展示館は、太い米松をふんだんに使った木造りの館です。 展示は年間3回ほど替わります。春と夏はそれぞれ1つのテーマに基づく企画展を、秋と冬は常設展を開催しています。常設展では、グリム童話、絵本の歴史、自然の中の人間と動物たち、世界の絵本賞受賞作品の4つのテーマに分け、当館の収蔵作品が紹介されています。今回の春の企画展は、グリム童話を中心とした「メルヘン・イラストレーションの歴史」展と日本の昔話展「辰巳雅章氏の切り絵の世界」でした。 図書館では、欧米を中心とした世界の絵本を原書で閲覧できます。また、ミュージアムショップでは、自然と関わりの深い原書やポスター、カード、木の玩具などが売られています。 若い女性の集団やカップルに加えて、赤ちゃんをつれた人たちも見受けられます。美術館内の芝生の上で子供達とピクニックしている光景などすがすがしい空気がみなぎっています。一回りした後、ティールーム・クヴェレでハーブティーのさわやかな味と香りを楽しむこともできます。 雄大な浅間山にいだかれた軽井沢は、スコットランド系カナダ人宣教師アレクサンダー.クロフト・ショーによって1885年(明治18年)に、避暑地として発見されました。以来、その清澄な自然に魅了された多くの西洋人に愛され、ここに独特の文化がはなひらいたといわれています。 軽井沢はライラックの花が美しく、詩情の漂う町です。魅力溢れる芸術的な町です。 94.06.09 |
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所在地:〒389-0111 長野県北佐久郡軽井沢町塩沢湖217軽井沢タリアセン内 Tel:0267-45-6161 |
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ペイネ美術館 公式HP |
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