夢彩人

埼玉県東松山市

財団法人原爆の図丸木美術館

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今回は、埼玉の東松山市にある原爆の図で有名な丸木美術館を紹介します。

東武東上線の森林公園駅から南に4kmほどのところに財団法人原爆の図丸木美術館があります。タクシ−もありますが、歩くと50分ほどかかります。駅前のレンタサイクルを利用することもできます。日本にもまだ土地があると思わせる風景のなかを通って行きます。池袋から森林公園駅までは急行で60分ほどです。

丸木美術館は、1967年に丸木位里(イリ)、俊(トシ)夫妻の「原爆の図」の作品を展示するために開館されました。1991年には新館が完成しています。美術館からは、都幾(トキ)川を眼下にながめることができます。その都幾川は夕陽を紅くうつしながら西から東へと流れ、美術館の横でゆるやかに曲がっています。この辺りは、熊笹が生い茂り、梅が咲き、桜が咲き、鴬がなき、人家の少ない静かな場所です。縄文土器や弥生式須恵器の破片も出ています。

丸木夫妻が練馬の石神井からこの地に移って30年近くになります。現在は、美術館の横にある住居に姪の夫妻と4人で暮らしているそうです。美術館の前には千羽鶴と香の絶えることのない観音堂や百年前の農家の建物である野木庵、そして崖下の川に沿ったところには窯があります。みんなで絵を描き、土をこね、畑をつくり、川で魚を取り、自然食で暮らしているそうです。

丸木夫妻は、戦争の狂気を絵画によって告発しています。故郷の広島に戻ろうとしていたとき、8月6日「新型爆弾投下、相当の被害あり」の記事を見てすぐに広島に向かいました。「助けて下さい。助けてください。」としがみつく人々の中を実家へと向かいました。むけた人、焼けた人、血を吐く人、狂った人々が次々と死んで行きました。原爆の絵を描かねばと思ったのは、原爆が落されてから3年も経った雨の降る夏の夜のことだそうです。屍の匂いが風に流れ、降り続く雨のなかに、くずれかけていた家々が、どんどんと倒れて行くひびきを聞いた広島の夜が、松林に囲まれた片瀬の山小屋によみがえってきたとのことです。松の枝のつらなりが、手を半ばあげて泣きながらゆく傷ついた人の群れにみえてきて、丸木夫妻は、二人して、どちらが言うともなく原爆の絵を描かねばとよりそいあったとのことです。

山に囲まれた仕事場で、スト−ブに木を燃やしながら、裸になってモデルになりあって描いて行きました。原爆から5年目の1950年の2月に原爆の図第1部作「幽霊」を描き上げました。その後「火」「水」「虹」「少年少女」「原子野」「竹やぶ」「救出」「焼津」「署名」と次々と作品を発表しました。作品は世界中を巡回し、人々に衝撃を与えました。「マルキ」の名は国境を越えて知れ渡りました。

その後も「母子像」「とうろう流し」「米兵捕虜の死」「からす」を完成させました。さらにテ−マは原爆のことに止まらず「南京大虐殺の図」「アウシュヴィッツの図」「水俣の図」「沖縄戦の図」など戦争や公害を告発する作品も加わっています。

位里氏のお母さんの丸木マスは、74歳から絵を描き始めましたが、その作品は、色調が素朴で、新鮮で天衣無縫な何ものにも捉われず自分の感情の走るままに描かれています。この美術館には、丸木マスの作品も展示されています。

位里氏は、1901年に広島の大田川のほとりの農家の長男として生まれました。川端龍子らから日本画を学び、清龍展、歴程展などに意欲的に出品を続けながら、水墨画に抽象的表現を持ち込み、独自の画風を打ち立てています。戦争前後は戦争に批判的なグル−プ、美術文化協会、前衛美術会などで日本画の旗手として活躍します。戦後は現代日本美術展、日本国際美術展などに雄大で繊細な水墨画の発表を続け、現在は人人展に毎年、俊さんと共同制作を出品しています。

俊さんは、1912年に北海道雨龍郡の寺の長女、赤松俊として生まれました。女子美術専門学校で洋画を学び、二科展に出品します。戦前はモスクワ、ミクロネシアに長期滞在し、多くのスケッチを描きます。1941年に位里氏と結婚し美術文化展、前衛美術展、さらに女流画家協会展に精力的に出品を続けます。数多くの絵本も手懸け、「日本の伝説」でゴ−ルンアプル賞、「おしらさま」「つつじのむすめ」「ひろしまのピカ」など民話、創作、記録のあらゆる分野の絵本で数々の賞を得ています。いわさきちひろは赤松俊さんからデッサンの指導をうけています。お互いに裸になってモデルになりあったとのことです。

位里氏との出会いについては、俊さんの原爆を描いた愛の自叙伝「女絵かきの誕生」に書かれています。そしてこの本のあとがきで位里氏は「私が広島に生まれたからというて原爆を描かねばならぬということはない。私は日本画家として一生牛を描き、山を描き、海を描いていたろう。俊は俊で油絵描きとして、あのすばらしデッサン力を生かして、全然イメ−ジの違う女えかきとしてより大きく成長していたであろう。夫婦になったばっかりに大きく道を踏み外したのかもしれない」とかいています。

 

(森林公園)

森林公園駅の北側3kmほどのところに国営武蔵丘陵森林公園があります。100万坪以上の敷地の中には、四季を通じてさまざまな花を楽しめる花木園があります。春には、700本の梅と1000本ほどの桜が花を開きます。都市に緑を増やす目的でつくられた都市緑化植物園もあります。ここで植物に親しむ会による「植物写真の撮り方」についての講演を聞きました。急に花を撮る写真家になりたくなってしまいました。サイクリングコ−ス、ウオ−タランド、テニスコ−ト、運動広場、彫刻広場など多くの施設が完備しています。自転車を借りるとこの公園と丸木美術館の両方を廻ることができます。

 

(埼玉県立近代美術館)

森林公園に寄らないときには、川越駅でJRに乗り、大宮駅で京浜東北線に乗り換え北浦和駅で降りて、西口から徒歩3分のところに埼玉県立近代美術館があります。埼玉大学の移転跡地に設けられた県立北浦和公園の一角に1982年に開設された美術館です。埼玉県ゆかりの作家や彼らに影響を与えた内外の作家の作品が展示されています。特に印象派からエコ−ル・ド・パリまでの近代西洋絵画を収集展示しています。建物は若尾文子さんと結婚している建築家黒川紀章氏の設計によるものです。

戦争や公害の恐ろしさを絵でもって世の中に伝え、戦争や人災を無くそうと頑張ってこられた丸木位里・俊夫妻には、深い感動を覚えます。でも、これらの絵を見ていると何か悲しくなります。美しい人間、美しい自然、美しい花を描きたい気持ちになります。

東京の地下鉄でサリン事件が起きました。不特定多数の人々を襲ったこのような行為には憤りを感じます。悲しくなります。それも宗教団体との関係となるとなおさらです。弱い人間であるから神にすがりたいはずなのに、そんな人々をこのような行為に走らせる主導者を許すことはできません。人間の愚かさと弱さを感じます。人間は、その中に入ってしまうとその愚かさを知ることが出来なくなってしまうのでしょう。

人間は、天災に加えて、人間同志が憎しみ合い、争そうこと、人間がつくりだす災害を克服して行かなければならないことは、悲しいことです。

   

 

所在地:355

    埼玉県東松山市下唐子1401

Tel:0493-22-3266

 

 

財団法人原爆の図丸木美術館 公式HP

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