夢彩人

東京都調布市

武者小路実篤記念館

☆☆☆☆

 

MUSHAKOJI SANEATSU MEMORIAL HALL

19948

 

今回は、調布市にある武者小路実篤(ムシャコウジサネアツ)記念館を紹介します。武者小路実篤は、豊かな自然と清水を求めてこの地に移り、ここで安子夫人と2人で晩年の20年間を過ごしました。

京王線仙川(センカワ)駅から、案内標識に従って、音楽で有名な桐朋学園の横を通って行くと10分位で実篤公園の入口に出ます。

実篤公園は、1978年に実篤の住まいの跡に開園されました。この公園の敷地は千4百坪近くあり、豊かな樹木や花に恵まれ、武蔵野の面影を止めています。1985年には、この公園に隣接して記念館が開設されました。この記念館には、遺族より寄贈された実篤の著書、書画、愛蔵品をはじめ、実篤にゆかりのある人々の作品が展示されています。また、1994年には、新たに資料館が増設され、閲覧室で本を読んだり、コンピュータで実篤に関する情報や資料を検索することができるようになりました。

実篤は、1885年(明治18年)5月12日に東京の麹町で生まれました。子爵であった父は、実篤が2歳の時に亡くなり、その後は、母親に育てられました。1891年に学習院初等科に入学しています。華族としての対面を重んじながらも生活は必ずしも楽ではなかったようです。この頃得意な課目は、算術と読み方で、図画、作文、習字、唱歌、体操は苦手であったようです。しかし、中等科6年のときに実篤の生涯の友となる志賀直哉と同級となり、また、文学好きな仲間たちとの交流により文学に関心を持つようになります。そして、18歳のときの失恋とトルストイの作品「我懺悔」「我宗教」との出会いが実篤に文学への道を決定づけました。

1906年に学習院高等科を卒業し、東京帝国大学哲学科に進学しますが、大学生活の1年が終わったところで、文学に打ち込みたいとの理由で中退することを決意します。そして、1907年、志賀直哉の強い勧めにより「荒野」を自費出版しました。1909年には、志賀直哉、木下利玄(キノシタ トシハル) 、里見トン(サトミ トン)、柳宗悦(ヤナギ ソウエツ) 、有島武郎(アリシマ タケオ)・生馬(イクマ) ら学習院出身者を中心とした人達と雑誌「白樺」を創刊します。この白樺は文学ばかりでなく、美術雑誌の性格もあり、実篤たちは、ゴッホやセザンヌなどの印象派の絵画やロダンなどの作品を紹介しています。また、白樺主催で岸田劉生、梅原龍三郎らの展覧会も開催しています。

実篤は1913年に竹尾(タケオ) 房子と結婚し、1918年に、以前から抱いていた人間が人間らしく生きるための理想社会についての考えを「白樺」で発表しました。そして、これに賛同した人達と宮崎県児湯郡(コユグン) 木城町(キジョウチョウ)石河内(イシカワチ) に「新しい村」をつくりました。1922年に、この新しい村に参加した飯河(イゴウ)安子と再婚し、3人の女の子が生まれています。この間に「おめでたき人」、「その妹」、「友情」などの代表作を次々と発表しています。昭和に入ると「井原西鶴」などの伝記小説や「人正論」、「愛と死」、「真理先生」、「一人の男」などの作品を出し、人生の美しさや人間愛を書き上げ、1951年には、文化勲章を受賞しています。

実篤は、美術に関する著作を数多く出していますが、40歳ころからは、自ら絵筆をとっています。「生命が内に充実しているものは美なり」と語り、その美を丁寧に表現しています。

1955年に、この仙川の地に移り、朝は原稿を書き、午後には来客の対応と書画の制作という、生きている証として精力的な制作を続けました。しかし、安子夫人の入院後はほとんど原稿も画も手に着かず、入院中の安子夫人を見舞った翌々日に失語の人となり、安子夫人が亡くなった2ヵ月後の1976年4月9日に90歳の天寿を全うしました。

実篤の美しいものに対する真摯な取り組みには感動せずにはいられません。「思い切って咲くもの萬歳」と書かれたひまわりの画など花や野菜の美しさを愛情をこめて描いています。実篤はつぎのように書いています。

 

    臆病にならず

    大胆に画をかけ

    一心に画をかけ

    不精せずに画をかけ       自然の傑作には

    かける処まで画をかけ      生命の泉がある

    かけなくなったら休んで     かけかけかけ、

    又力が出来たら画をかけ     大胆にかけ

    そして生命の泉から       一心にかけ

    水を汲み出して         かける処までかけ

    人々の心にしみこませよ。     疲れたら休んで

                    更に一歩進んでかけ。

           武者小路実篤画集と画論 1942年

 

武者小路実篤記念館を出ると百日紅(サルスベリ)の花が美しく咲いていました。

 

(神大植物公園)

京王線のつつじヶ丘駅までは、歩いて10分ほどで行くことができます。時間があれば、神大(ジンダイ)植物公園に行かれることをお薦めします。つつじヶ丘駅から神大植物公園行きのバスに乗ると10分ほどで行くことができます。10万坪近い敷地の園内には、4千5百種類の植物が10万株植えられており、四季折々の花を楽しませてくれます。つつじ、はぎ、はなもも、ふくじゅそう、はなみずき、かえで、うめ、さるすべり、つばき、はなしょうぶ、ぼたん、しゃくやく、ばら、しゃくなげ などが分けられて栽培されています。中でも大温室の前に広がるばら園は、3百種類、6千株が咲き誇り、その光景は壮観です。植物会館では、花に関する展覧会などが開かれています。また、本園だけでなく自由公園のけやきや緑の相談所などの緑も素晴らしいです。公園の深大寺門を出ると、奈良時代に開創された深大寺(ジンダイジ)があります。嫁菜の花美術館の絵画教室の生徒たちがよく写生に行くところです。ここからは吉祥寺駅や三鷹駅に出るバスが出ています。

武者小路実篤は、安子夫人と巡り合えたことが大きな幸せであったと思います。真実、美、愛を求め続けることができたのも、そのためであったかもしれません。

 

 

所在地:182 東京都調布市若葉町1−8−30

Tel:03-3326-0648

 

 

武者小路実篤記念館 公式HP

120

 

 

夢彩人