夢彩人

静岡県駿東郡

ベルナ−ル・ビュフェ美術館

☆☆☆☆☆

 

19952

 

名称変更

ビュフェ美術館

 

今回は、東京を離れて静岡県長泉町(ナガイズミチョウ)の駿河平にあるベルナ−ル・ビュフェ美術館と井上文学館を紹介します。

JR東海道線・新幹線の三島駅から3番ポ−ルの富士急バス駿河平行きに乗り、文学館・美術館入口で降ります。そこから徒歩10分のところにベルナ−ル・ビュフェ美術館があります。バスは本数が少なく、時間も渋滞すると40分以上かかりますので、タクシ−を利用する方がよいと思います。駿河平自然公園のなかには、ビュフェ美術館の横に野外音楽堂や井上文学館もあります。駐車場も完備していますので、マイカ−で訪れる人がほとんどです。

ベルナ−ル・ビュフェ美術館は、スルガ銀行の会長(当時頭取)である岡野喜一郎氏によって1973年創設されました。岡野氏が敬愛するベルナ−ル・ビュフェの作品を所蔵展示するために設けられた美術館です。ビュフェの作品の増加に伴い1988年には新館が増築されています。ここには、ビュフェの油彩、水彩、デッサン、版画、彫刻など1000余点の作品が収蔵され、その質、量において世界一を誇る美術館になっています。

ここからは、晴れた日には北に富士を間近に仰ぎ、南斜面の丘陵の先には駿河湾を見渡すことができます。高級住宅が点在している空気の澄んだ高原に建てられた美術館です。白い建物の壁には  Musee Bernard Buffet とビュフェのサインと同じ筆跡で描かれています。遠くからこの文字を見ることができます。

ベルナ−ル・ビュフェは1928年パリに生まれました。20歳で批評家賞を受け、一躍世界画壇の寵児となります。その作風は強靭な描線とモノクロの色調で鋭く時代相を描くものでありました。それから40年の画歴を重ね多くの画風の変遷を経て、今日具象派の巨星としてゆるぎない地位を保っています。

ビュフェは孤高の芸術家と言われています。彼は幼い時から貧しく育ったのに、若くして名声と巨万の富を得ます。しかし、彼自信はそんなことにはいっさいお構いなしに、生まれたときのままの、けがれのない目で自分の世界をみつめ、ひたすら絵筆一本に自分の生命を託し続けています。彼は、彼の妻であり、彼のよき理解者である美しいアナベルと南フランスのエキサンプロバンスに近いラルク河畔の広大な敷地の古城に住んでいます。彼の描く女性の顔は、すべてアナベルであるそうです。でも、そのアナベル夫人に対しても、彼の画業について自ら口を開くことは希だとのことです。

版画家で、小説「エ−ゲ海に捧ぐ」で芥川賞を受賞した池田満寿夫氏は、この美術館の横の野外ステ−ジで開催された講演会でビュフェについて次のように述べています。

「ビュフェの絵を見ていると、あいまいなものというのは無い。彼の絵を見ていると分かるのですが、だいたい直線というのが多い。常に直線というのが彼の絵の基本になっている。この直線というのは、どうしても物を固くしてしまう。曲線というのは、柔らかくなるのです。ビュフェの線というのは、本当に何かコンクリ−トにひっかいた様な感じの線なのです。・・・何か人間の絶望感みたいなもの、苦しみみたいなもの、それを”ひっかく”ということの中に僕達は感じた訳です。それでビュフェは、今言ったようなことで、色彩も全部取ってしまった。それから物の持っている質感とか、そういうものも取ってしまった。人間には感情があるのですけれども、絵というものはその感情を表現することができる訳です。・・・見たものを描くのではなくて、自分の思っていること、自分の感情を絵に描き表現するというやり方です。これは極端にいうと、怒り狂っている時は、線をメチャクチャに描くとか、人間の顔を極端に歪めて描いた。つまりそういうことによって、自分の一つの絶望感みたいなもの、いらだちみたいなもの、不安感みたいなもの、そういうものを絵に表現した訳です。これを表現主義と言う訳です。・・・見たものをそのまま描くのではなく、見たものの中に自分の精神を描き込むという考えです。これをビュフェがやった。ですからビュフェのリンゴにしても、皿にしても、机にしても、いかにも何か寒々とした感じがする。つまりビュフェは本当に貧乏だった。・・・そういう惨めみたいな状況をビュフェは表した訳です。」

展示は、年二・三回の入れ替えをベ−スに、ベルナ−ル・ビュフェの16歳の作品から、最新作まで各年代の代表作を網羅して約200余点を常設展示しています。そこには、40年を越える画歴の変遷を見ることができます。殊に新館には初期の作品が展示されています。これだけ一人の画家の作品を見ることの出来る美術館はいままでに無かったような気がします。感動を覚えます。一度訪れる価値があります。

 

(井上文学館)

ベルナ−ル・ビュフェ美術館の横に日本ペンクラブ会長で文化勲章受賞作家の井上靖の作品や創作ノ−ト、資料文献を展示している井上文学館があります。北に富士の秀峰を仰ぎ、南に紺碧の駿河湾を見下ろす、この景勝の地は、「あすなろ物語」の中で「寒月ガカカレバ キミヲシヌブカナ 愛鷹山ノフモトニ住マウ」とうたわれたところで、周辺は緑の森と竹林におおわれた泉の湧く谷間であります。

井上文学館は、1973年11月25日、当時スルガ銀行頭取であった岡野喜一郎氏が理事長となって創立されました。鉄筋2階建ての純日本風の白の館で、菊竹清訓氏の設計によるのです。

この井上文学館には、芥川賞の「闘牛」をはじめ、芸術選奨文部大臣賞の「天平の甍」、芸術院賞の「氷壁」、毎日芸術大賞の「楼蘭」と「敦コウ」、野間文芸賞の「淀どの日記」、読売文学賞の「風涛」、日本文学大賞の「おろしや国酔夢タン」をはじめ「あした来る人」、「しろばんば」、詩集「北国」ほか、エッセイ、旅行記など全著書と生原稿、手直し原稿、創作ノ−トなどが収蔵されています。

井上靖は、1907年(明治40年)5月6日に北海道上川郡旭川町で生まれていますが、静岡県湯ケ島小学校から浜松中学校に入学し、途中沼津中学校に転じています。井上靖はこの故郷に建てられた文学館をこよなく愛し、毎年何回かこの地を訪れ、文学講話を開いていました。1991年(平成3年)1月29日に83歳の生涯を閉じています。

井上靖は、私が好んで読んだ小説家の一人です。「あすなろ物語」に出て来る場所がこの文学館のあたりであることを知り感激しました。そして、井上靖は、すぐれた美術評論を書いています。「美しいものとの出会い」、「カルロス四世とその家族について」などです。また、井上靖は、多くの詩をかいていますが、その詩には静かな絵画的なイメ−ジがあります。

 

(佐野美術館)

三島駅南口から徒歩15分のところに佐野美術館があります。時間があれば立ち寄られるのもひとつです。三島出身の実業家佐野隆一翁が、湧き水の豊かなこの地に日本庭園と永年収集した各種美術品を展示する美術館を1966年に築造し、開館しました。常設展では日本刀や青銅器、陶磁器、金銅仏など東洋の工芸品が中心ですが、企画展も行なっています。

冬の駿河平は雪がちらついていました。車以外は人影の少ない静かな公園の中にある美術館でした。晴れた日には富士山と駿河湾を見ることができます。ビュフェのサインの文字を見ていると、梅田の三番街の文字を思い出し、大阪がなつかしくなります。

 

 

所在地:411 静岡県駿東郡長泉町駿河平

Tel:0559-86-1300

 

 

ビュフェ美術館 公式HP

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